DNではたくさんの人がmtgについて自分の意見を述べている。

中には単に感情を述べたものもあるし、中には環境や特定のカードについての考察を文章として掲載しているものもある。

いずれにせよ自分の脳内(考え)を言葉として表現しているわけだ。

この言語化するという作業の意味は単に他者への情報提供というわけではない。
もちろんそういった意味もある。むしろ比重としてはそちらの方が大きい。

ただ、隠れた効果として自分がどこまで理解しているのかを客観的に評価できるというものがある。
他者に完全に伝えられないモノは、自分も完全には理解していないということだ。
あるいは直感的には答えはわかっていても、なぜそれが正しいのかという理論は理解できていないという場合もある。


プロと素人では特にここの差が大きい。プロプレイヤーの書く記事を思い出して欲しい。いづれも理論がしっかりしていて、読み手が理解できる内容だ。なぜか、という部分を曖昧にしない。
カード一枚一枚の選択にしてもそうだ。プロは自分が持ち込んだデッキのカード選択について、その一枚づつについてしっかりと理由を述べられる。
我々はいったい何枚、カードの採用理由を答えられるだろうか。


言語化するとは、自分の思考力を鍛えるということでもある。
常識だから、経験上、そういって考えるのを放棄してしまうことがある。だが、ストイックなまでに思考し続けることで見える世界もある。

梅原 大吾の「勝負論」に詳しいですが、スパ4のリュウVS豪鬼の相性について考えたときのことが書いてありました。
一般には豪鬼有利と言われていて、ウメハラ自身いろいろと検討してみたがやはり間違いなかった。(普通の人ならまずこれすらしないと思う)
その後ウメハラは豪鬼の有利な点はなにか、逆にリュウが勝っている点はどこなのかを徹底的に研究していきます。その結果ただ一点リュウが勝っている部分を見つけたのです。それを軸に新しい戦略を考えることにより、とうとうウメハラはリュウ有利と断言します。
そしてその結果10-2という圧倒的な勝利を収めます。ハッキリ言って常人が到達するには非常に高い思考力が必要です。
しかしプロと呼ばれる人達はそういったことをしっかりと言葉で説明できるまで高めているのです。言語化するということに隠された意味を今一度考えてみてはいかがだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=1XV-BG-0njE

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